嫌われると人に優しくなる

 人材提案をする時に、どういう人かっていうことを、書かずにPDFだけ送った。

向こうが求める人材です、後は経歴書をみてくださいというつもりで送った。

特にその人と話していないし、書くようなことないし、経歴書に書いてあることをいちいち文章にする必要はないし、面倒くさいと思って。

 

 文章を丁寧にしたからばれないと思ったが、ばれた。

 

 PDFを読むまでに相手の気持ちを高めて見させるのか、普通に見させるのでは、気持ちの入り方が違うと言われた。

 

 人に興味がないから、そうなるんだ、何かアクションを起こすまでのプロセスを考える力が弱いと言われた。

 

 しかも、文章に費やす時間が長い割に大したことないと言われた。(実際はPDFファイルの印刷に苦戦していたのだが。)

 

 これの解決方法は2つある。一つは営業される側に回ること。実際の提案を何回も受けたら、どういう提案に自分の心が動くのか、実感できるようになると思う。

 

 二つ目は課の人たちから嫌われること。適当にあしらわれて相手にされなくなったら、人に嫌われたくないと思い、細部まで考えるようになると思う。

 

 細部に拘れるようになるには、嫌われるのが手っ取り早い。自分のコミュニティを他に作ろうと必死になるから。

 

 例えていうと、ボロアパートに引っ越してから、元の家に戻るとそこがいかに良いか分かるというイメージだ。

 

 嫌われた状態を経験すると、通常の状態が幸せに感じる。話しかけてくれたり、気を遣ってくれたり、一つ一つの何気ない行為に本気で感謝できるようになる。

 

 しかし、僕はそれを維持できない。嫌われることを5年前に経験したが、もう忘れている。

 

 嫌われているところを想像しても、実際に経験したわけではないから、心からの感謝が出来ない。